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──つまり、変わってしまった、わけだな? |
ええ。 |
……聞こえて来た声は、男のものと、女のもの── |
若さは感じない。齢を重ねた響きもない。 |
ただ時において不変の輝きを湛えているくせに、しかしなんらかの変化を迎えてしまったものの声。 |
その変化を話題にしている。 |
ついでに言えば──それらは、五感として捉えた感覚ではなかった。 |
誰かが説明してくれたのだ。恐らくは、あの光の文字が。 |
「わたしは残念だよ」 |
床は円卓の北側から、そうつぶやく。円卓は広大で──端までが霞んで見えるほどに広い。その円卓には、もうひとり、女がい |
る。男の、ちょうど向かい側。 |
離れすぎているため、女の顔は見えない。といって、男の顔が見えるわけでもないが。 |
「原因は分かっているわ」 |
「彼らだな。だがその責を彼らに取らせると?」 |
「責ではないわ」 |
女の声には、確信に満ちたものがある。感情をすべて超越した、時折女が──というより女親が覗かせるような、そんな根拠のな |
い自信。 |
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「ただ、わたしもあなたと同じよ。この洪水を止めたいだけ」 |
「どうやって?」 |
「大多数の者が考えているのと同じ方法でよ」 |
「君お得意の大怪獣(バジリコック)かな?」 |
彼らの言葉は、明らかに未知の言語である──が、もちろん、その意味は明確に理解できた。できなければ、ここにこうしている |
意味もないわけだから。 |
「それも使います。あなたの天使と悪魔を貸してほしいのだけど?」 |
「それは無理だな」 |
男は鼻で笑ったようだった。 |
「君も知っているだろう──そう、お互いに知らないことなどあるわけがないな。我々はすべてを知っている、いや知っていた。仮 |
に我らにとってすら未知であるものがあるとすれば、あの天使と悪魔こそそうだろうな。あれらはわたしよりも強大だ。貸す、などと |
冗談にもならん。第一、あれらが承知せんさ」 |
「魔法(システム)の崩壊は、あなたにも無関係ではないのよ」 |
「当たり前だ。君と話をしている、これ自体が大問題だな。だが問題の解決に関するわたしの考えは、君らとは大きく違ってい |
る……」 |
「わたしはバジリコックも使うわ。ヴァンパイアも、そして──」 |
「ドラゴンも、か」 |
「ええ」 |
「あれは、君にとっての天使と悪魔だ──手に余るのではないかな?」 |
「世界の崩壊こそが天使と悪魔よ」 |
女は鋼の強さを思わせる口調で言い切った。 |
「わたしは追うわ。彼らをね。世界を崩壊させ、わたしたちを産み出した彼らを……」 |
「彼らユグドラシル・ユニットはみな狡猾だ。この脳と言う肉塊を持ってからまだ日が浅い我々などより、遥かにな」 |
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「日が浅いのは、わたしたちだけでしょう。あなたは──」 |
「ああ。だが、わたしが以前、肉体を持っていたのはほんの三十二年間だけだ。信じられるか? そんな一瞬の間に、わたしは人 |
生とはなにかと思索したこともあるのだ……」 |
「感傷は崩壊を早めるわよ。わたしも、あなたも注意しないとね」 |
女はそれだけを冷たく言うと、静かに席を立った。 |
「もう行きます」 |
「止めはせんよ。いずれ、殺しにいくが」 |
「やはり……」 |
と、女は苦しげな声を出した。 |
「あなたは、それを考えていたのね」 |
「仕方あるまい。わたしにでき得る中では、それが最善だ」 |
男の声には悪びれた調子も、特に言われたほどの感傷があったわけでもない──ただ仕方ないと告げたそのせりふが示す通り |
だった。ただその通り、男は仕方ないと思っているのだ。 |
「さようなら、スウェーデンボリー」 |
「ではさらばだ、過去か……未来か誰かは知らないが。運命の女よ」 |
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円卓はただ広い。 |
そのどこにいるのか、自分でも分からないが──どこにいたところで、その男と女の顔は霞んでいて見えない。ただ声だけは聞こ |
えてきていた。 |
ただ見ていた。そして、それが── |
真の戯曲『魔王』なのだと気づいたとき、光が消えた。 |